手まり教室でした

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久しぶりの手まり教室でした。
皆様進み具合はまちまちです。
生徒さんは昭和12年生まれの方2名、もう少しお姉さんもいらっしゃいます。
12年生まれの方(今年80歳だと思います)戦時中、満州で過ごして小学4年生の時に日本に戻ったというお話をしてくださいました。
戦時中の話を聞けるのは貴重な事です。
もう暫くすると戦争を知らない人ばかりになるのでしょうね。
原爆投下や終戦の月に貴重なお話を聞くことができました。
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父がデイサービスやショートステイに行くときには、名前入りの下着や靴下が必要です。
チェーンステッチで簡単な名前を刺繍しますが、靴下など何枚もになると意外と時間がかかりなかなか手まりを作る時間がありません。
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近くの川でカモの番がいました。
水辺にいるのを見ていると涼し気です。
たまにシラサギ?も見かけます。
この川の下流には鯉もいます。
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私の母も満州生まれで

満鉄をつくっていたお爺ちゃん、引き上げる時には病気を発症していたらしく
引き上げて来る時の事をじっくりと聞いたのは大人になってからのことでした。
子供の頃、テレビの残留孤児の親探しのニュースを見ながら母が 「大変だったろうに、置き去りにしないで母さんは連れて帰ってくれたのね」と、
 言ったひとこと
私にとってはもの凄く衝撃的でした。
戦時中の事、両親の記憶の確かなうちに聞いておくことは大事な事と思いました。

名前付け 一つ一つとなると大変な事、最近では子供用の物は
印刷、アイロンで付けられる物も出ているそうですね。
それを、ステッチされている事には頭が下がります。

最近では、カモは たくさん見ます。
30年ほど前は、田んぼのアゼに居ると嬉しくなってしまったのですけれどね(*^-^*)
でも、のどかで好きです~*

Re: 私の母も満州生まれで

クロにゃんこさんこんばんは。
いつもありがとうございます。
クロにゃんこさんのお母様やおじいさまも満州にいらしたんですね。
中国残留孤児のニュースは子供のころよくテレビで見た記憶がありますが、最近めっきり目にする事なく・・年月の流れと共に当事者様も高齢化したのでしょうね。
ご高齢の方は子供の頃のことはとてもよく覚えています。
戦争当時の事は思い出したくない方もいらっしゃいますが、伝えてくれると有り難いですね。
名前をアイロンで付けられるもの試したのですが、父は何かが貼りついてると思ったらしく、見事に剥がされてしまいました。
ボケてる人は意外な事してくれます(笑)
カモも可愛いですよね。
シラサギなどより警戒心が少なくて、遠目でもオスかメスか分かるので「夫婦なのね~」勝手に想像して楽しんでいます。

ここrのこもった刺繍ですね。

アイロンで貼るのは剥がしてしまわれるのなら
手縫いが一番なのでしょうね。
ゴワゴワするのもいやでしょうしね。
何枚もの刺繍は大変ですね。

水鳥は暑くないのでしょうか?(*^^*)

うち母は戦争時代のことはあまり話したがりません。
だんだん話す人も減っていきますね。

Re: ここrのこもった刺繍ですね。

こちらにもどうもありがとうございます。
確かにアイロンで貼り付けるものはごわごわしますね。
それが気になったのか?靴下に貼り付けたら何かを踏んだと思ったらしく、剥がされてしまいました。
まるで入園前の子供がいるみたいです(笑)
確かにカモなどは黒っぽいですから、日光を吸収して暑いでしょうね。
小さな橋が渡っていますので、橋の下は涼しいと思うのですが日に当たってカルシウム作っていたのでしょうか・・
お母様は戦時中お辛い記憶があるのでしょうね。
父も戦時中の話は暗いものばかりで、カボチャや芋を出すと「戦時中はこんないいものじゃなかった。芋の蔓まで食べた」その記憶があるせいか、芋やかぼちゃは喜びません。
戦争を知っている世代がだんだん少なくなるのは、また間違えを繰り返してしまいそうで怖いです。
プロフィール

ジャックと豆手鞠

Author:ジャックと豆手鞠
手まり作りを始めたのは2003年からです。
まだまだ作りたいものばかりです。
手まりに癒され、手まりに励まされ、日々手まりと共に生活しています。

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